奈良のシカ(国の天然記念物)を取り巻く現状とWDIの見解

2024年04月08日


2024年、奈良県庁で「第13回奈良のシカ保護管理計画検討委員会」が開催されました。

その検討会で示された方針は、奈良のシカを管理していくというものです。

「管理」とは、シカの駆除も含む管理*¹です。

奈良公園はA・B・C・Dと地区が分かれており、C地区のシカたちの管理、すなわち駆除を行う方針が示されました。今後1年かけて具体的な内容を専門家らで決めていくということです。

C地区の駆除の方針が示された理由は以下のとおりです。

① シカによる農業被害

② 奈良のシカの独自な遺伝子の保護

2017年までは、全ての地区のシカたちは保護されていましたが、D地区については、2017年に「管理」が開始され、シカたちの駆除が行われています。



【論点のすり替え】

シカたちの駆除エリア拡大の方針が定められたのには、次のような背景があります。

⑴ 2023年10月   奈良の鹿愛護会の施設で収容されているシカたちへの虐待があったことが、通報により判明

⑵ 2023年12月21日 施設での虐待通告を受け「奈良のシカ保護管理計画検討委員会 鹿苑のあり方等検討部会」開催

⑶ 2023年12月22日 奈良県山下知事が定例会見で「シカの駆除の範囲を広げていかざるを得ない」と述べる

⑷ 2024年3月25日 「第13回奈良のシカ保護管理計画検討委員会」開催

これらの流れは違和感のあるものです。奈良の鹿愛護会の施設に収容されているシカたちの生活環境改善の議論が、シカの駆除の議論にすり替わっています。

奈良のシカは国の天然記念物なので捕殺できません。そのため。奈良公園周辺で農作物を食べた鹿や近隣の大学の敷地に入ったシカ、近鉄奈良駅付近にいたシカなどは生きたまま捕獲されて、同会の施設に収容されていました。

施設では収容するシカの頭数がキャパシティオーバーになっているとして、捕獲するシカの頭数を減らそうとする話が出ていました。最終的に方向性は「駆除」となり、農業被害対策としての駆除から、奈良公園のシカ独自の遺伝子を守るための駆除と理由づけが行われました。

本来であれば、施設のシカの飼育方法を改善する議論が行われるべきですが、その議論はほぼ行われず、最終的には、「奈良のシカの遺伝子を守ろう!」とまで話が飛躍しています。



【結論ありきの議論】

「奈良のシカ保護管理計画検討委員会 鹿苑のあり方等検討部会」では、一部の農家の方から「柵はしたくない」「C地区でも駆除を行ってほしい」という意見がありました。また野生動物対策の柵の専門家は「シカの個体数が多いと、柵の効果は低くなるので、駆除は必要」と意見を述べました。奈良の鹿愛護会の施設に収容されているシカたちの生活改善の話は大きく逸れ、「どのように駆除を正当化するのか・進めるのか」の議論が行われています。

この検討会の翌日、奈良県山下知事は「シカの駆除の範囲を広げていかざるを得ない」と会見で述べました。山下知事の発言に対して、関係者の生態学の専門家は、「このタイミングでこの発言では検討会の意味がない」と語っていました。



【シカによる農業被害】

今回、シカによる農業被害に悩まされているひとつの地域の田畑を見学してきました。田畑には、どんな動物の侵入の許してしまうような柵が設置してありました。これでは、動物の侵入を防ぐという柵の目的が果たされていません。

適切な防除柵を設置すれば、シカから農作物を守ることはできます。シカによる農業被害に対しては、小規模な柵と設置方法の工夫で十分に効果が期待できることがしめされています*²。このように小規模なものであれば、全ての田畑への防除策設置も可能なはずです。

駆除の議論を展開する前に、県や市の協力も得ながら、奈良公園周辺の田畑にシカの侵入を防ぐ適切な柵の設置を行うべきであると考えます。



【奈良のシカの遺伝子の独自性】

検討委員会の村上委員長は、奈良公園のシカの独自の遺伝子を守るために、「外からやってくるシカを殺さなければならない」と語りました。シカ個体の遺伝子とシカによる被害には何の関係もなく、そのシカが「外来」遺伝子を持つことが駆除の正当な理由にならないのは明らかです。また、「奈良公園のシカの独自の遺伝子を守る」ことの意義についても、明瞭な説明はなされていません。奈良のシカが特別なものとして天然記念物に指定されている理由は、「人に馴れ、集団で行動し奈良公園の風景の中に溶け込み、わが国では数少ないすぐれた動物景観を生み出していること」とされています*³。このことから、シカ個体の遺伝子が、奈良のシカが天然記念物であること、ひいては駆除とまったく関連づけられるものではいことがいえます。

根拠のない大義名分のもとシカたちの駆除が押し進められることは、問題の解決にあたって極めて強引な施策であると言わざるを得ません。本来の問題である、施設に収容されているシカたちの生活環境改善の議論に立ち返るべきです。



【総括】

奈良の鹿愛護会の施設に収容されているシカたちの生活環境改善の議論が農業被害の話題になり、奈良のシカの独自性の遺伝子というトピックにまで飛躍しました。この議論は、問題解決の手段として「駆除ありき」の、本質から逸れたものです。

農業被害対策については、奈良県や奈良県議会議員に、WDIで防除柵を設置させてもらえないかと要望しましたが、現時点で検討してもらえずにいます。

農業被害は適切な防除柵を設置することで問題が解決に導かれますが、検討会はそれを行わず、さらに、遺伝子の話まで持ち出してシカの駆除を押し進めようとしています。どのような手段や口実を使ってでもシカの捕殺を進めたいという印象で、大きな違和感を抱きました。




*1 現在日本で行われている多くの野生動物管理は、簡単に述べると「野生動物を人間に都合よく管理していこう」という方針のもと行われています。人間に乱獲などにより絶滅に瀕している種は保護し、人間に害を与えるとみなした種は駆除を行います。IUCNによって提唱されている本来的な野生動物保護管理の理念は、野生動物を資源と捉え、「絶滅を回避し、次世代に良好な状態で継承していくこと(生物多様性)と、再生可能な資源として、再生可能な範囲で生産性を維持して利用していくこと(生産性の維持)の2つに要約」されるものです。

・参考文献 梶光一/土屋俊幸『動物管理システム』一般社団法人東京大学出版社、2014年

*2 「獣道残す防護柵に効果 深刻なシカの食害を軽減 被害多い地域へ導入期待山梨県2019年8月14日、毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190814/ddl/k19/040/186000c (最終閲覧日:2024年4月8日)。

*3 『天然記念物「奈良のシカ」保護計画』2022年4月、奈良県 https://www.pref.nara.jp/secure/218528/hogokeikaku-1.pdf (最終閲覧日:2024年4月8日)

※記事トップの写真は奈良のシカさんたちを見守る活動をされているS.Kさんが撮影された画像をお借りしました。画像に写っているのは、奈良公園で生活しているシカさんたちです。