猟友会の歴史的沿革

2025年05月15日

日本で最初に「猟友会」と名乗った団体は、動物学者・飯島魁らによって1892年に結成されたとされています。初代会頭を務めたのは、貴族院議員の大村純雄でした。当初、猟友会は軍や警察の下部組織として機能し、多くの場合、警察署長が猟友会の会長を兼任していました。

1910年(明治43年)、帝国在郷軍人会の設立に伴い、この軍人会が主導して各府県に猟友会が組織されていきました。

1929年(昭和4年)には「大日本聯合猟友会」が結成され、1939年には社団法人化されます。猟友会は当初から国家、特に軍部と密接な関係を築き、「統制管理狩猟」の体制を整えて、軍服に必要な毛皮の調達システムを構築しました。

大日本猟友会は「軍部の要請に基づき、野兎の毛皮など軍需資材の集荷に誠意をもって協力」し、日中戦争の開始(1935年)から太平洋戦争の終戦(1945年)に至るまで、毛皮の生産・加工が重要視されていました。この事業では、各地にノルマが課され、その達成度に応じて狩猟用資材(散弾や火薬など)が配給されていました。

戦後、GHQによって狩猟の継続が認められたことで、猟友会はその存在意義を保ったまま、現在に至っています。2010年(平成22年)、猟友会の役員が中心となって、「大日本猟友政治連盟」が設立されました。これは利益団体であり政治的圧力団体としての性格を持ち、活動資金は毎年の狩猟者登録時に会員から任意で募る寄付(目安額1人200円以上)によって支えられています。

この政治連盟の設立に呼応して、自民党内には「鳥獣捕獲対策議員連盟」が結成され、100人を超える議員が参加しています。


野生動物を狩る行為への規制は、1872年の明治維新による「鉄砲取締規制」の公布から始まります。この規制は、旧武士階級の武装解除による幕藩体制解体の徹底と抵抗・反乱勢力鎮圧を目的とした銃社会規制政策でした。

1873年: 「鳥獣猟規制」が制定公布。

1892年: 「受領規則」。

1895年: 法律としての「狩猟法」が制定。

1901年: 狩猟法の一部改正。

1918年: 大改正。

1963年: 狩猟法の大幅改正が実施され、「鳥獣の保護及び狩猟に関する法律」が施行され、鳥獣の保護が法律に組み込まれました。同時に都道府県別狩猟免許制度が導入されました。

1999年: 鳥獣保護法の改正により、自治体の業務となり、知事は独自に保護管理計画を策定できるようになりました。

2002年:法律の目的に生物の多様性の確保が加わるとともに条文がひらがな書きとなり、名称は「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」とされた。

2006年: 鳥獣法一次改正。

2007年: 「自民党農林業有害鳥獣対策検討チーム」が誕生。

2008年: 「鳥獣被害防止特措法」が施行され、農林水産業に対する被害や人身被害、交通事故の発生に対応するため、総合的かつ効果的な施策が推進されることを目的としています。

2014年: 鳥獣法二次改正により、題名及び目的に鳥獣の「管理」が加えられました。

2015年: 「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」が施行されます。

2016年:「鳥獣による農林水産業等に係る被害防止のための特別措置に関する法律(鳥獣被害防止特措法)を改正し、捕獲鳥獣の食肉、すなわちジビエとしての利用促進を明記されました。


猟友会は、政治的影響力を持つ団体として、狩猟に関する法制度の見直しを政府に働きかけてきたとされます。

法制度の見直しについては、わな猟免許の取得年齢を20歳から18歳に引き下げたり、有害鳥獣捕獲の報酬を引き上げたりする政策変更が実施されています。

また、所定の手続きを経れば保護区内での捕獲(「有害鳥獣対策として」)も認められる場合があり、結果として狩猟が可能な範囲が広がってきている状況です。

 さらに、猟犬の使用に関しては、「家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」の一部が改正され、特定の犬(猟犬など)については、一定の条件のもとでリードを外して使用することが容認されています(*1)。

娯楽目的の狩猟以外にも、猟友会が現在取り組んでいるとされる「社会貢献活動」には以下のようなものがあります:

  1. 地域住民の安全確
  2. 外来種の駆
  3. 有害鳥獣の捕獲
  4. 指定管理鳥獣捕獲等事業 など


一方で、同会のホームページには「命と向き合う」「狩猟者は自然の守り人」といった表現が掲載されており、狩猟行為に対する一定の価値観が示されています。
また、狩猟免許取得時に配布される「狩猟読本」には、「狩猟は自然資源の管理と持続的な利用を図る上で重要な行為であり、『人と野生鳥獣との共生に』大きく寄与するので、決して自然環境の保全に反する行為ではありません 」との記述もあります。

これらの表現について、私は個人的に、狩猟による動物個体や生態系への影響が十分に言及されていないのではないかと感じています。人間にとって都合の良い文脈だけで狩猟が語られているように思われることもあり、その点については多角的な視点からの議論が必要ではないかと考えています。


【まとめ】

猟友会は国と連携しながら、野生動物の捕獲事業などを推進しています。この体制は、猟友会および現政権与党(*2)にとって、それぞれの政策目的に沿った活動が展開される構造となっていると見る向きもあります。

一方で、動物の殺傷や管理に対する社会的関心や倫理的な批判も高まっており、そうした声に対し、猟友会および政府はその必要性や正当性を訴える姿勢を維持しています。

また、かつての戦時中と同様、ノルマが課され(シカを何頭捕殺するか各地で目標が定められている)、達成度(捕殺対象である動物の捕殺)に応じて報酬が与えられるといった制度も現在に至るまで続いています。 


(*1)家庭動物等の飼育及び保管に関する基準の一部改正(犬の放し会の特例規定)にはこう書かれています。

「2 追い払いを目的とする場合(当面は、自治体等の関与による追い払い事業が想定される)は、上記のほか、次に揚げる要件を備えること.

〔1〕 原則として、追い払いの目的を終えたら速やかに所有者のもとにもどるように訓練られている犬であること.

〔2〕 追い払いの実施に当たって、周辺住民への周知が徹底していること.

〔3〕 追い払いの効果等を把握・検証し、必要に応じ実施方法を見直すこと.

○環境省告示第百四号

動物の愛護及び管理に関する法律(昭和四十八ねん法律第百五号)第七条四項の規定に基づき、家庭動物等の飼養及び保管に関する基準(平成十四年環境省告示第三十七号)の一部を次のように改正し、平成十九年十一月十二日から適用する.

平成十九年十一月十二日   

                  環境大臣 鴨下 一郎

第4の1に次のただし書きを加える.

ただし、次の場合であって、適切なしつけ及び訓練がなされており、人の生命、人体及び財産に危害を加え、人に迷惑を及ぼし、自然環境保全上の問題を生じさせるおそれがないばあいはこの限りではない.

(1) 警察犬、狩猟犬等を、その目的のために使役する場合

(2) 人、家畜、農作物等に対する野生鳥獣のよる被害を防ぐための追い払いに使役する場合


(*2)戦中に外務大臣を務めていた吉田茂が1955年に自民党を設立し、戦後の日本の初代首相を務めました(在職期間は1946年から1954)。自民党設立には、鳩山一郎や池田勇人も関与していまいした。


参考文献

大日本猟友会ホームページ(最終閲覧日:2024年11月27日)

今里 滋「わが国における狩猟・獣害対策の歴史と課題」

『狩猟読本』一般社団法人大日本猟友会

御田成顕・久保裕貴・宋閻徳嘉・須藤竜之介・杉山悠生理・田川 哲・藤原敬大・太田徹志・細谷忠嗣・ 「ジビエ食経験の有無によるジビエに対する印象の差異―福岡市西区における模擬店来場所を対象としてー」九州森林研究 


ー本稿はあくまでも一個人の視点に基づいた所感ですー