
現代人はなぜ虫を嫌うのか?
「現代人はなぜ虫を嫌うのか?」
ゴキブリを目にすると、多くの人は驚き、排除しようとします。近年ではゴキブリに限らず、カメムシ、アリ、ハチ、クモといった昆虫類に対しても、強い嫌悪や排除の傾向が顕著になっています。
では、なぜ私たちはこれほどまでに虫を嫌うのでしょうか。
虫嫌いについて、「本能的なものである」と説明されることがあります。しかし近年の動物行動学などでは、「本能」という言葉自体はほとんど用いられなくなっています(*1)。その理由は、従来「本能」とされていた行動の多くが、実際には経験や学習によって形成されていることが明らかになったてきたからです。
「本能論争」の理解を先に進めたチャールズ・ダーウィンは「本能」の定義を以下のように述べています。
「私たち人間にとっては経験がないとできないことだが、動物、とくに幼い個体がする場合には、経験がなくてもできる行動で、また、多くの個体がみな同じようにする場合には、それをする目的が何であるかを知らなくてもできる行動を、一般に本能的な行動という」(*2)
もし虫嫌いが本能的であるならば、すべての人間が虫嫌いであるはずです。実際には、虫を好む人も存在することから、虫嫌いは本能と説明できるものではないと考えます。
この疑問に対して、東京大学の研究グループが行った大規模調査が有力な示唆を与えています。
20歳から79歳までの約1万3000人を対象としたアンケート調査によれば、現代人が虫を嫌う要因の一つは「都市化」であるとされています(*3)。
すなわち、かつては野外で虫を目にする機会が多かったのに対し、現代では主に室内で遭遇するようになったこと、さらに虫の種類を見分ける能力が低下したことが要因とされます。
この調査からは、都市化が進むほど虫の識別能力が低下し、結果として不必要な嫌悪感を抱きやすくなることが示されています。
実際には危険でない虫であっても、「感染症や危険をもたらすかもしれない」という誤った認識が生じやすく、これを心理学では「エラーマネジメント理論」と呼びます。人間は、危険でないものを過大評価する(偽陽性)傾向を持つ場合があるようです。
また、虫嫌いは単に都市化の影響だけでなく、人間社会や他の生き物たちへの偏見や差別にも通じる側面があります。
例えば、異なる国の人に対して「見かける機会は増えているのに、個人的に交流する機会は少ない」場合、誤解や偏見が強まることが指摘されています。(*4)昆虫に対する嫌悪感も、知識や直接的な体験の不足によって強化されるという点で、同じ構造を持っていると考えられます。
したがって、虫に対する嫌悪感を緩和するためには、自然体験を増やし、昆虫に関する知識を深めることが効果的ではないかと言われています。
東京大学大学院農学学生生命科学研究科附属生態調和農学機構助教の深野裕也さんは、虫嫌いを緩和する可能性がある対策として ①野外で虫を観察すること、②虫の種類を識別できるように学ぶことを提唱されています。
研究グループは、今回の調査において現代人の虫嫌いの原因が「都市化だけに限定されるものではない」可能性を指摘しつつも、少なくとも「都市化」が主要な要因の一つであることは明確になったと述べています。
結論として、現代人の虫嫌いは「都市化」と「認識の不足」に大きく起因しており、その背後には人類の進化的適応(虫に対する恐怖や嫌悪)や社会的構造が深く関与しています。相手が昆虫であれ、他の野生動物や人間であれ、正しい知識を持つことによって誤解や偏見は和らぐのではないでしょうか。ゆえに、自分や自分たちの属性以外の存在を理解しようと努める姿勢は、多様性を尊重し、共生社会を築くうえで極めて重要であるといえるのではないでしょうか。
参考文献
(*1)「『動物はなぜ動く?』の 考え方 動物行動学・神経行動学の基礎」 静岡大学理学部
(*2)マーク・S・ブランバーグ『本能はどこまで本能か?』早川書房、2006年。
(*3)草下健夫「現代人の虫嫌いは『都市化に原因』、東大の研究で明らかに」Science Portal、(最終閲覧日:2025年9月12日)。
https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20210324_g01/
(*4)浅倉拓也「日本に『排外主義』が広がった?否定した研究者が求める外国人政策」朝日新聞、(最終閲覧日:2025年9月12日)。
https://www.asahi.com/articles/AST7K22NTT7KPTIL01MM.html