
野生動物救護活動の現実と保護主の責任ー利己的な救護活動への意見ー
はじめに
「したい」と「できる」のあいだにあるもの
「助けたい」という気持ちと、「実際にできる」ことのあいだには、しばしば大きな隔たりがあります。
野生動物を救護したいという強い思いがあったとしても、その気持ちだけで適切な救護ができるとは限りません。必要なのは、知識と経験、そして冷静な判断です。
【問い合わせの現状から見えてきたこと】
私が野生動物の救護活動を始めて以来、「傷ついた野生動物を保護したが、どうすれば助けられるのか」という問い合わせが、繰り返し寄せられてきました。
そのたびに私は、保護された動物の利益を最優先に考え、現実的に可能な選択肢について保護主の方たちに説明をしてきました。
しかし、その内容を理解し、実際に行動に移してくれた方は、ほとんどいやっしゃいませんでした。
中には、保護動物に必要な治療を行わず、SNSでの注目や評価を優先するケースもありました。そうした状況に触れるたび、私は「本当に動物のことを第一に考えているのだろうか」と、強い疑問を抱かざるを得ませんでした。
【利己的な動機が生む問題】
野生動物の保護活動が、自己満足や承認欲求を満たす手段になってしまうとき、最も大きな犠牲を払うのは、いつも動物たちです。
十分な知識や経験がないまま行われた判断は、結果として保護された動物たちをさらに苦しめることになります。
日本の動物保護活動の中には、残念ながら利己的な動機に基づいていると感じられる事例が少なくありません。
「助けたい」という思いがあるからこそ、いま自分にできることは何なのか、何をすべきではないのかを冷静に考える姿勢が不可欠です。誤認保護を含む誤った判断を避けるためには、その視点が欠かせません。
【教育と理解が追いついていない現実】
「野生動物の救護活動をしよう」と呼びかけること自体は簡単です。しかし、それを担える人が育っていなければ、現実には実現しません。
日本の現状を見る中で、私はこの社会がまだその段階に至っていないと感じています。そのため、一般の人々に向けて安易に救護活動を促す発信を、私はやめることにしました。
動物保護活動が利己的になりがちなこと、そして必要な知識や経験が十分に共有されていないこと。
この二つの問題を理解しなければ、苦しむのはいつでも動物たちです。
これまで私は、この問題について沈黙を保ってきました。しかし、感覚を持つ保護動物たちが置き去りにされている現状を前に、もはや目を背けることはできません。
利己的な目的で行われる活動では、どれほど丁寧に説明をしても、都合のよい解釈がなされてしまうことが多くあります。中には、保護動物が苦しんでいる状況そのものが「美談」として語られるケースもあります。
さらに、「回復したら飼うつもりです」といった理由で野生動物を保護する事例もありました。
野生動物救護の基本である「野生復帰」の重要性を伝えても、理解されないことが多いのが現実です。
【野生動物を「野生動物として」理解するために】
日本で一般的に語られている野生動物救護に関する情報の中には、差別や偏見、思い込みに基づく内容が少なくありません。そうした知識をそのまま信じて行動した結果、動物たちをさらに苦しめ、最悪の場合、命を落とさせてしまうこともあります。
野生動物は、家畜と呼ばれる動物たちとは異なる部分もある存在です。
それぞれの種の習性や生態、そして「個として生きている存在」であることへの理解と尊重が不可欠です。
動物救護活動において、最も大切なことはただ一つ、「動物たちのことを第一に考えること」です。
【まとめ 誰のための救護なのか】
傷ついた野生動物を目にして、「かわいそう」「放っておけない」と感じる気持ちは自然なものです。
しかし、その後に何が本当に動物たちの利益につながるのかを考えなければ、その行動は善意であっても害になり得ます。
自分にできないことまで無理に背負うことは、結果として動物たちを苦しめることにつながります。
日本には、「困っている動物を第一に考えた」救護活動が求められています。
私たちの活動は、人間の満足のためにあるのではなく、傷ついた動物たちのためにあります。
そのため、WDIでは保護した動物の治療方針が定まり重要な段階が落ち着くまでは、SNSでの発信を控え、救護に専念しています。
繰り返しになりますが、野生動物救護活動は、私たちの利己的な感情を満たすためのものではありません。
軽い気持ちで行えるものでもありません。
利己的な保護は、結果として動物たちを深く傷つける。そのことを、数多くの事例が示しています。
