野生動物救護活動の現実と保護主の責任ー利己的な救護活動への意見ー

2025年09月20日

はじめに

「したい」と思うことと「できる」ことの間には、しばしば大きな隔たりがあります。例えば、野生動物を救護したいという強い気持ちがあったとしても、実際にその活動を行う能力や知識が伴わないことが多いのです。


問い合わせの現状

私が野生動物の救護活動を始めて以来、「傷ついた野生動物を保護したのですが、助けるにはどうすればよいですか?」という問い合わせが度々に寄せられます。その際、私は保護動物の利益を最優先(第一)に考え、それが実現する可能性があるアドバイスを行ってきました。しかし、実際にそのアドバイスを理解し、実行に移してくれた方はわずか1名に過ぎません。

多くの保護主は、自身の名声や注目を集めることを目的としており、保護動物に対して必要な治療を施さないという事例も実際にありました。このような状況が続く中、私は保護主が本当に保護動物を第一に思っているのか疑問に感じることがありました。


利己的な動機の問題

野生動物を保護する活動が、単なる自己満足やSNSでの「いいね」を得るための手段となってしまうと、保護動物のケアは疎かにされ、さらなる問題を引き起こすことになります。知識や経験が不足している場合、誤った判断がなされ、結果的に保護された動物たちが苦しむことになります。

日本の動物保護活動の多くは、利己的な動機に基づいていると感じています。したがって、「助けたい」という気持ちがあっても、その実現には冷静な判断が不可欠です。傷ついた動物の利益になる自分に出来ることは何なのか、どのように行動すべきかを真剣に考えることが、(誤保護を含む)誤った判断を避ける鍵です。


教育と理解の重要性

「野生動物の救護活動を行なおう!」と言っても、それをできる人が育っていないと実現できません・・・・・・。日本の現状を見て、この社会ははまだそれを実現できない状況であると実感しています。そのため、わたしは一般の人たちに向けて、野生動物の救護活動を促す発言をやめました。

動物保護活動が利己的であること、そして必要な知識や経験が不足していること。この二つの問題を理解しなければ、苦しむのはいつでもどこでも動物たちです。私自身、これまでこの問題について沈黙を守ってきましたが、感覚を持つ保護動物たちが置き去りにされている現状には、もはや目を背けることができません。

利己的な目的で活動する場合、どれほど説明をしても相手には伝わらず、都合の良い解釈がなされることが多いです。しかも、保護動物たちが多大に苦しんでいることを「美化」されることもあります。さらに、野生動物を飼育したいという理由から保護活動を行う事例もあり、「回復したら飼う予定です」と言った方もいました。こうした誤解を解くためには、野生動物救護の基本であるリリースの重要性を伝えなければなりませんが、理解されないことが多いのが現実です。

野生動物の救護に関して日本で一般的に言われていることは、野生動物への差別や偏見、決めつけのある内容が多いため、その知識を得たところで、結果として、保護動物たちを苦しませることになり、最悪は死に至ることもあります。

家畜と呼ばれている動物たちとは異なる野生動物たちへの理解と知識やそれぞれの種の習性、さらに、個々の動物たちへの理解と尊重を学ばなければならないです。

そして、野生動物救護活動、保護活動で非常に大事なことは、「動物たちのことを第一に考える」です。


まとめと今後の展望

傷ついた野生動物を見て「かわいそう」や「ほっとけない」と感じる気持ちは自然ですが、その後に何が動物たちの利益につながるのかを真剣に考える必要があります。自分にできないことのすべてを無理に行うことは、結果として保護動物たちが苦しむことになります。

日本には「困っている動物たちを第一に考えた」救護活動が求められています。私たちの活動は、個々の人間のためではなく、傷ついた動物たちのためにあるべきです。

私たち自身は、保護した動物の治療の方針が決まったり、リリースが済んだり、その他の重要な事が落ち着くまで、SNSでの発信はせず、救護活動に専念しています。

繰り返しになりますが、野生動物救護活動は、私たちの利己的な満足のためではなく、傷ついた動物たちのためのものであることを理解することがこの社会に求められています。

気軽に野生動物の保護はできません。利己的な保護は結果として保護動物を苦しめるだけになります。それは数々の事例からもひどく実感しています。