野生のシカたちが「普通」に存在する自然環境を、わたしたちはどう捉えるのか

2025年12月23日

野生のシカたちが「普通」に存在する自然環境を、わたしたちはどう捉えるのか



 1990年代以降、日本各地でシカによる農作物被害の増加が社会問題として顕在化してきました。同時に、森林植生の衰退などを理由に、生態系への影響も懸念されるようになりました。

これらの問題は長らく、「シカの個体数が過去に例を見ないほど増加したこと」が主因であると説明されてきました(*1)。現在では、この認識は行政や研究者にとどまらず、一般市民の間にも広く共有されています。

その結果、「増えすぎた」野生動物への対策として、対象種を「適正」とされる水準まで減少させる個体数管理が実施されています。これには狩猟*や捕獲事業による捕殺が含まれます。

*狩猟は、趣味などから野生動物の捕獲・捕殺を伴う行為であり、近年では農業被害の軽減や生態系保全を目的とした手段の一つとして位置づけられることがあります。

しかし、問うべきなのは、「シカが増えた理由」以前に、わたしたちは自然環境と、そこに生きるシカたちをどのように理解しているのかという点ではないでしょうか。


【野生動物の「適正な個体数」とは何か】


自然環境に生息する野生動物の正確な個体数を把握することは、現代の科学技術をもってしても極めて困難ではないでしょうか。推定値は存在するものの、それは不確実性を内包した推計値です

このことは、「自然環境にとっての適正な個体数(生息数)」を人間が客観的に算出することの困難さを示しています。

実際、「シカの適正数」は立場によって異なる定義が用いられることがあります。農業被害が発生しない状態を指す場合もあれば、特定の植物群落が維持される水準を指す場合もあります。いずれも、人間社会の目的に基づいた定義です。

わたしは、野生動物の個体数は、本来、捕食・採食・競争・適応などといった生態系内の相互関係によって調整されるものであり、人為的な基準で「増えた」「減った」と判断すること自体が、人間中心的な視点であると考えます。

自然環境における個体数は、人間が決定するものではなく、環境そのものが導き出す結果だと考えます。


【シカは本当に「増えすぎている」のか】


近年、シカは「爆発的に増加した」と表現されることもあります。しかし、歴史的視点から見ると、現在の状況は増加というより「回復」と捉えることができます。

北海道や長野県では、明治中期頃までシカが多く生息していたことが記録されています。その後、乱獲や生息環境の変化により個体数は急減し、1960〜70年代には全国的に極めて少ない水準にまで落ち込みました。1970年代から1990年代頃までシカたちは少しずつ個体数を回復してきました。

2018年に発表された研究(*2)では、エゾジカは明治初期までに約70万頭が生息していた可能性が示されており、これは近年の推定個体数と大きく変わらないということです。

この事実は、現在の個体数が「異常」ではなく、歴史的に見れば自然な範囲である可能性を示唆しています。


【シカと自然環境】


今日、シカは「生態系を破壊する存在」として語られることが多いです。その結果、2024年度には狩猟および捕獲事業を通じて、約73万頭のシカが捕殺されました(*3)。

しかし、野生動物の適正数が人間には把握できない以上、捕殺を前提とした対策は、問題の本質を十分に検討したものとは言い難いです。

シカは、日本の自然環境と長い時間を共にし、植生更新や物質循環に関与してきた生態系の構成員です。その存在を排除することを前提とした自然観は、必ずしも健全なものとは言えないと思います。


【捕殺は根本的解決となり得るのか】


「捕殺すれば個体数が減少し、それに伴って被害も軽減される」という考え方は、直感的には理解しやすいものです。

しかし、生態学の知見によれば、野生動物の個体数が人為的に減少した場合、その種では繁殖率の上昇や子どもの生存率の向上などが生じ、結果として個体数が回復する傾向があることが知られています(*4)。

このような現象は「リバウンド効果」とも呼ばれ、シカやイノシシをはじめとする複数の野生動物種において指摘されています。

さらに、特定の地域で捕殺を行ったとしても、周辺地域から別の個体が移動してくるため、その効果は限定的かつ一時的にとどまる場合が少なくありません。

以上の点から、捕殺のみを手段として問題の解決を図ることは、生態系が本来もつ動的な性質を十分に考慮した対応とは言い難いと考えられます。

仮にシカを殺すことで被害が解消されたと評価される状況が生じるとすれば、それは地域的な絶滅、あるいは個体数が著しく減少した状態に至った後である可能性が高いのではないでしょうか。



【わたしたちはシカとどう向き合うのか】


最終的に問われているのは、シカという存在自体そのものではなく、人間の自然観(価値観)であると思います。つまり、「人間の側」の問題(*5)です。

シカを自然の一部として、個々の存在として受け入れ、その存在を前提とした環境理解を進めるのか。あるいは、人間社会の都合、人間の「思想」を優先し、排除を続けるのか。

人間が自然環境を完全に管理・制御できないという前提に立つならば、後者は根本的な限界を抱えています。

問題の本質は、シカそのものではなく、人間の活動と認識にある・・・・・・この点を直視することなしに、持続的な解決はあり得ないと考えます。


【まとめ】


現在のシカ管理政策は、自然環境保護を掲げながらも、その多くが人間側の都合に基づく仮説の上に成り立っています。人間活動の影響には十分に踏み込まず、シカを問題の主体として位置づけている点に課題があります。

シカを含む野生動物は、この地の自然環境を構成する不可欠な存在であり、かれらの捕殺行為は生態系への重大な介入になります。

わたしたちのシカたちへの認識のあり方は、かれらの健康・生涯・生命だけでなく、日本の自然環境全体の将来を左右していきます。今こそ、野生動物と自然環境の現在の位置づけを社会全体で再考する必要があるのではないでしょうか。



参考文献

(*1)揚妻直樹「シカの異常増加を考える」HOKKAIDO UNIVERSITY

(*2)「北海道開拓当初,エゾシカ70万頭が生息していた可能性」PRESS RELEASE 北海道大学(最終閲覧日:2025年12月23日)。

(*3)「ニホンジカ・イノシシ捕獲頭数速報値(令和6年度)」環境省

(*4)江口祐輔『最新の動物行動学に基づいた動物による農作物被害の総合対策』誠文堂新光社、2013。

(*5)岩崎茜「アルド・レオポルドの土地倫理―知的過程と感情的過程の融合としての自然保護思想―」博士論文、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程SD081004.


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