
「害獣」という言葉が見えなくしているもの
「害獣」という言葉が見えなくしているもの
日常的に使われている「害獣」という言葉。
わたしたちはこの言葉を、あまり疑問を持たずに使っているかもしれません。
しかし、この言葉は中立的な言葉なのでしょうか。
「害獣」という一言が発せられた瞬間、個々の野生動物たちは、「個」という、ひとりの生きている存在ではなく、「排除すべき対象」として扱われてしまいます。利益・不利益という、きわめて狭い人間中心のモノサシで他者の存在価値を判断することの危うさについて、少し考えてみたいと思います。
「害獣」と呼ばれている動物種とは、「人間や家畜・農作物に被害を与える動物」(広辞苑)とされ、主に野生の哺乳類を指す言葉です。現在、日本ではシカやイノシシなどの野生動物、また他地域から移動してきた動物種などが、日常的に「害獣」と呼ばれています。
しかし、人間にとって都合の悪い側面だけに注目し、特定の動物種を一面的に分類するこの呼び方に、問題はないのでしょうか。
特定の野生動物種を「害獣」と呼ぶ行為には、差別的な側面が含まれています。この言葉は、レッテルを貼られた動物種を一括りにし、否定的に捉えることを前提としているからです。
その結果、わたしたちの中にある、個々の動物たちへの共感のアンテナは遮断されてしまいます。動物たちは感覚をもった存在としてではなく、「処理すべき問題」として扱われるようになり、人間の加害性さえ正当化されてしまうのです。
「害獣」というラベリングをされた動物種への扱いは、その言葉が採用された瞬間から、ある程度決まっているのです。つまり、「害獣」と呼ぶこと自体が、すでにひとつの結論になっているとも言るからです。そこには「害を排除する」という前提があり、「敵」と「味方」という二分法の構造に分けられてしまいます。この構図の中では、相手への理解や歩み寄りという姿勢は生まれず、相手に対するリスペクトも完全に失われてしまいます。
この思考の構造は、人間社会において「異質な他者」を排除してきた歴史とも、どこか共通する部分があります。歴史を振り返れば、特定の属性を持つ人々が「害のある存在」とレッテルを貼られ、排除や抑圧が正当化され、多くの人々が犠牲になった事例があります。「害獣」という言葉とそれらの歴史的事例がまったく同じものではありません。しかし、「特定の存在を危険視し、恐怖の対象とし、排除を正当化する」という思考のプロセスには、共通する危うさを見ることができます。
また、「害」と決めつけてしまうことで、原因を考えるよりも、対象を排除する方向へ議論が進みやすくなります。本来、人と野生動物との軋轢の多くは、(野生動物を含む)自然環境に対する人間社会の活動による環境変化とも深く関係しています。しかし、「害獣」という言葉はその問題の構造を単純化し、原因の所在を野生動物たちに押しつけてしまうものなのです。
その結果、自然環境と人間社会との関係について、誤った認識が広がってしまうおそれもあります。「害獣」というラベリングは、問題の責任を動物側に転嫁し、人間活動が自然環境に与えている影響という根本的な問題から目をそらすことにつながります。
わたしたちはなぜ「害獣」という言葉を使うのでしょうか。それは、人間にとって都合の悪い出来事を、分かりやすく説明する言葉だからかもしれません。問題を単純化し、「被害を与える存在」を明確にすることで、人は状況を理解したような感覚を得ることができます。
しかし、その単純化の過程で、感覚を持っている個々の動物たちの存在や、人間社会と自然環境の複雑な関係が見えなくなってしまう可能性があります。特定の存在を、その存在そのものではなく「害」という属性で定義してしまうことは、人間が無意識のうちに抱いている差別意識や特権意識を映し出す鏡のようでもあります。
「害獣」という言葉は、思考を停止させ、他者への共感や想像力を枯渇させてしまう側面を持っています。言葉が個々の動物たちの存在を「モノ」へと変えてしまうとき、そこから他者を理解しようとする可能性は失われてしまいます。その言葉は、特定の人間の利益や都合を、あたかも普遍的な基準であるかのように見せてしまう側面を持っています。
【まとめ】
「害獣」という言葉には、個々の野生動物への理解を欠いた差別的な側面があり、そのロジックには危うさがあります。
この言葉は、対象とされる動物種の一側面だけに目を向けた、人間中心のラベリングでもあります。そこには、人間が自然環境の支配者であるかのような傲慢さも見え隠れします。
言葉には、対象に対する接し方を方向づける力があります。「害獣」という言葉は、個々の動物たちの存在を見えなくし、乱暴な排除や「駆除」(加害性)を正当化する働きを持ちうるのです。
だからこそ、わたしたちは言葉の持つ暴力性に自覚的であり、その使用には慎重であるべきではないでしょうか。
「害獣」という言葉を使わずに、
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「農業被害の原因とされる動物」
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「人と軋轢を抱える動物」
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「人里に現れることのある動物」
など、状況を説明する言葉を用いることもできます。
言葉の選び方を見直すことは、野生動物たちとの関係のあり方を見直すことにもつながのではないかと考えています。
わたしたちが、感覚を持つ個々の動物たちの存在に目を向けるとき、人と野生動物との関係は、排除ではなく理解へと少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
