視点を変えてみる— パイオニア的存在ー

2026年04月10日

視点を変えてみる

ーパイオニア的存在ー


野生動物と生態系の関係を検索すると、目にするのは「シカが生態系を破壊する」という趣旨の論文や記事ばかりです。しかし、本当シカたちは生態系を破壊する存在なのでしょうか?

シカたちは、人類の個体数が爆発的に増加する遥か以前からこの地で暮らし、人間活動の影響を近年ほど受けずに生きてきました。現代では、シカたちは「生物多様性を減少させる破壊者」と認識され、長年、膨大な数のシカたちのいのちが奪われ続けています。この傾向は日本のみならず、イギリスやアメリカでも同様ですが、海外ではその認識がより多角的になりつつあります。


生態系を構築する「物語の登場人物」


例えば、英国鹿協会(BDS)は、人道的なシカの個体数管理を強調していますが、かれらは、シカを生態系の構築員(構成員)として明確に認識しています。シカを単なる「害獣」ではなく、ハイランド地方の景観を形作る重要な要素、すなわち「生態系の一部」であると述べています。

「スコットランドの生態系の物語において、シカは悪者ではありません。樹木、気候、土壌、そして人々と共に、シカもまた物語の登場人物の一人です。私たちは、この物語のより複雑な側面を認識し、より良い問いを投げかけ続けるべき時が来ています」(*1)

つまり、ダイナミックな生態系の構造を維持してきたシカたちは、破壊者ではなく「生態系のエンジニア」として捉えられているのです。


多様性の乏しい森に動きを吹き込む「パイオニア」


日本ではシカを「破壊者」と断定する場面が多いですが、かれらが今利用している多くは、拡大造林などによって人間が大規模に改変した後の山々です。過酷な環境に適応し、生命を繋いでいるシカたちは、むしろ「パイオニア(先駆者)」的な存在ではないでしょうか。

わたしたちが住む奈良県の人工林率は約61~63%に達します。クマは人工林率が40%を超えると絶滅に向かうとも言われる中、利用できる資源に限りがあるこの地で、シカたちは懸命に生きています。もともと多様な植物が少ない人工林において、シカが食べられる植物を探し、糧にする姿に、わたしはシカたちの生きるたくましい「希望」を感じます。



循環の輪を回す役割


シカがいることで、その地であまり姿が見られなくなる生き物もいる一方で、姿を見せる生き物もいます。例えば、シカの糞は糞虫の糧となり、その亡骸は微生物や他の野生動物へとエネルギー還元されます。もしシカが不在になれば、森から糞虫は姿を消し、ササが繁茂してその他の植物が日光を奪われる可能性もあります。

「シカが稚樹を食べるため森林が更新されない」という指摘もありますが、一方で「適度な採食はササを減少させ、稚樹の成長を促す」という報告もあります(*2)。また、北海道では「シカの捕殺によって森林が十分に回復した事例はまだない」(*3)という現実もあります。

中央ヨーロッパでの調査(Jörn Buseら)によれば、「野生草食動物の管理は、糞虫群落とその生態系サービスに大きな影響を与える」とし、個体数管理の緩和さえ提案されています(*4)。


「利子をつけて大地に返す」生き方


シカたちが枝を折り、下層植物を食べることは「害」ではなく、生態系を形作る不可欠な要素です。植物とシカは長い歴史の中で相互に影響し合い、共に進化してきました。

たとえ一時的に植物が減り、シカ個体群が維持できなくなったとしても、それ自体が自然のプロセスです。シカの糞や死は、次に芽吹く植物にとって最高の苗床となり、再び森を再生させます。この波のような変動こそが、自然のレジリエンス(回復力)の源なのです。

野生動物たちは、自らの生息環境を整えながら生きています。食べ、歩き、そして大地の上で最後の時が訪れる。個々のシカたちの独自の生涯、そのすべてが生態系への貢献です。かれらの生き方は、自ら食べた植物を「利子をつけて大地に返す」行為とも言えるでしょう。


管理から「受け入れ」へ


現在の保全は「管理(コントロール)」という強固な考えに基づき、殺すことを正当化しています。しかし、本当に必要なのは自然環境に対する(生き物のあり方を人間が帰るなどの)過度な介入ではなく、これ以上の環境破壊や汚染を止める人間活動の規制です。

自然界が自らの力で回してきた循環を止めるのではなく、人間側の負荷を減らし、そのままの自然を受け入れる。野生動物による被害に対しては、駆除以外の多角的な対策を粘り強く行うこと。

目に見えない、あるいは公表されていない「シカたちが森にもたらしている恩恵」を念頭に置き、かれらと共に歩む道を探していける社会を願っています。

「シカがいるからこそ、森も動く」。この生きた変化という当たり前のことを、わたしたちは忘れてはならず、かれらの存在と独自の生き方自体が「森そのものである」という認識も持ち、隣人であるかれらとかかわっていきたいですね。



参考文献

*1 Linda Mellor Why Must Deer Always Be the Villains? The British Deer Society、(最終閲覧日:2026年4月10日)。

https://bds.org.uk/2026/02/11/why-must-deer-always-be-the-villains/

*2 田村淳 「シカによりスズタケが退行したブナ林において植生保護柵の設置年の差異が林床植生の回復と樹木の更新に及ぼす影響」口林誌、(2013)95:8-14。

*3 明石信廣 「自然に近い森林を取り戻すためにー稚樹と上層木、ササ、シカの関係を考えるー」光内季報NO.208(2023.9)。

*4 Buse, J., Hoenselaar, G., Langenbach, F. et al. Dung beetle richness is positively affected by the density of wild ungulate populations in forests. Biodivers Conserv 30, 3115–3131 (2021). https://doi.org/10.1007/s10531-021-02238-z


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