オオカミ不在がシカの個体数増加を招く?その検証と考察

2024年12月12日

日本では近年、野生のシカが個体数を「爆発的」に増やしていると言われています。

その原因のひとつに「オオカミ不在説」があります。これは、人間がオオカミを絶滅させてしまったために、シカの捕食者がいなくなり、自然生態系のバランスが崩れてシカの個体数が増加したということ仮説です。

この記事では、オオカミが本当にシカの個体数を減少させていたのかを検証します。

1970年頃と比べると、シカが「異常」に増加し、増加したシカが日本の生態系を破壊していると言われています。シカによる農業被害は、1990年代頃から目立つようになったということです。

オオカミが絶滅したのは、北海道では1890年頃、本州では1905年頃です。もしオオカミがシカの個体数を抑制していたのであれば、オオカミの絶滅以降にシカの個体数は急速に増加するはずです。しかし、シカたちの個体数が増加し始めたのは、オオカミが絶滅から100年後のことです。2013年時点で、「オオカミが増加するシカの個体群を制御している事例は必ずしも多くない」とされています(*1)。

2021年5月にアメリカの国立医学図書館サイトで公開されたオオカミ再導入に関する研究報告書には、ウィスコンシン州の自然環境にオオカミを再導入することで「シカと車両の接触事故が24%~減少した」と記載されています。この減少のほとんどは「オオカミの捕食によるシカの個体数減少ではなく、シカのオオカミに対する行動的反応によるもの」(*2)とされています。つまり、オオカミはシカの個体数制御の役割を果たしているのではなく、シカの行動に変化をもたらしているということがわかりました。

2016年から2021年にかけて、ワシントン州北東部で行われたオオカミによるシカの個体数動態に関する調査報告書(*3)によると、オオカミの復活はオジロジカの個体数に対してほとんど影響を与えていないことが示されています。この調査では、オジロジカ208頭、オオカミ14頭、クーガー50頭、コヨーテ28頭、ボブキャット30頭に無線発信器を装着して行われました。研究に参加したのは、ワシントン大学、ワシントン州魚類生生物局、スポケーンインディアンの部族の研究者たちです。

ワシントン州では、オオカミは1930年頃に絶滅し、その後保護活動によってオオカミの再導入が行われてきました。その結果、2010年にはワシントン州の自然環境にオオカミが復活し、2023年にはオオカミの個体数は最低260頭まで増加しています。

オオカミたちはオジロジカを捕食しないわけではありませんが、オジロジカを大きく食べ尽くすほどではなく、調査対象地域のオジロジカの個体数は安定、もしくはわずかに減少している可能性が高いことが示されています。つまり、オジロジカの個体数を制御してきたのは、オオカミの影響が主な原因ではないということが判明しました。

オジロジカの個体数に影響を与える種は、ピューマであっても影響は少なく、オオカミはそれよりさらに少なく、コヨーテとボブキャットはほとんど影響を与えていないことがわかりました。

オジロジカの個体数に最も影響を与えたのは、シカが利用できる食糧の量などであり、「生息地の質」であることが明らかになりました。

ワシントン州北東部のこの調査結果と対照的な調査結果である、イエローストーン公園では、オオカミが捕食動物の個体群動態に及ぼす影響は示されています。

これらの対照的な研究報告により、さまざまな生息地でのオオカミに関する研究の重要性が浮き彫りになりました。

生息地の質やそこに生息する種、人間活動の程度などが、オオカミへ影響を与え、他の種へも影響を与えるため、今後「異なるタイプの生息地でのオオカミたちの研究を行い比較することは非常に重要」と、ワシントン大学の環境・森林科学准教授で論文の主任筆者であるローラ・プラウ氏は述べています。

また、WDFWの研究科学者で共同執筆者のメリア・デヴィーヴォ氏は、「この研究は、こうした複雑さや捕食動物と、被捕食動物の個体数管理がいかに困難でダイナミックであるかに関する貴重な洞察を提供します」と述べ、自然生態系の複雑さに触れています。

 

【総括】

日本では、シカの個体数が回復し始めたのはオオカミが絶滅してから100年後のことで、オオカミがシカの個体数に大きな影響を与えていないことが示されました。ウィスコンシン州のオオカミ導入後のシカの個体数調査結果でも、オオカミの存在はシカの個体数に直接影響を与えるのではなく、シカの行動を変化させるものであることが確認されました。ワシントン州北東部の調査では、導入されたオオカミがオジロジカの個体数に与える影響は非常に少ないことが判明しました。これらの研究報告から、オオカミがシカの個体数を自然環境に「適切な」数に抑制してきたとは断定できません。しかし、イエローストーン国立公園では、オオカミの存在がシカに大きな影響を与えるという研究報告があるため、異なるタイプの野生動物の生息地での研究結果を比較する必要があります。また、これらの調査報告からは、複雑な自然環境に対する人間の考察と姿勢の問題も浮き彫りにしています。日本では、「オオカミ不在がシカの個体数の増加をもたらした」と信じられており、人間の考えたことが絶対的に正しいという暗黙の前提が存在します。それが、自然環境に対する新たな考察の妨げとなり、他の国のような多角的な研究の弊害となっていると思われます。そのため、私たちは、人間の考察による結論が絶対的だと妄信せず、謙虚になり、自然環境とそこに棲む生き物たちの観察データを他の国のように多角的に蓄積していかなければならないと考えます。


参考文献

*1 揚妻直樹 「シカの異常増加を考える」HOKKAIDO UNIVERSITY 2013

*2 Jennifer L. Raynor,a,1 Corbett A. Grainger,b and Dominic P. Parkerb Wolves make roadways safer, generating large economic returns to predator conservation National Library of Medicine

*3 James Urton, University of Washington Wolves' return has had only small impact on deer populations in Washington state, study shows Science Daily