クマの排除と嫌悪刺激の副作用

2023年11月30日

2023年秋、山では木の実などの実りが悪く、野生のクマは食糧不足になっているそうです。そのため、冬眠に備え食糧を求めるクマが人里まで下りてくる回数が増え、クマと人が出会う機会も増えています。2023年11月22日までに、クマによる死傷者は少なくとも158人にのぼるということです。

クマに関する報道が連日のように行なわれているなか、「駆除」以外の手立てとして、クマの「学習放獣」が取り上げられることがあります。これは、捕獲したクマへ嫌悪刺激を与え、忌避条件付けを行ない、人間への恐怖心を植え付けてから自然環境に戻すことです。一般的には、学習放獣を行なうことで動物は人間を恐れるようになり、動物は人間に近寄る行動をしなくなる(人里に現れなくなる)と言われています。

クマに対して与えられる嫌悪刺激は、檻叩き、爆竹、ロケット花火、轟音玉(動物駆逐煙火)、カプサイシンスプレーなどを使用したものです。その他、クマに向かって吠え、クマを追い払うイヌ(いわゆるベアドッグ)を使用する場合もあります。

この学習放獣は、与える嫌悪刺激を大きくした方が捕獲地点に回帰しにくいという報告(※1)があります。また、アメリカのクマへの嫌悪刺激の実験では、クマの学習放獣は人間との問題を一時的に減らす可能性があると結論(※2)づけています。この方法は非致死的なのでとてもいいと思うかもしれません。

しかし、実際はそれほど単純ではないようです。クマやその他の野生動物に嫌悪刺激を与え、学習放獣することには大きな副作用があります。


【学習放獣の問題点】

⑴ クマやその他の野生動物が人間やイヌへの攻撃性を高め、事故が起こりやすい構造を作り出す

⑵ クマやその他の野生動物のストレスとトラウマになる。動物の福祉に反する。

これらは最終的には人間自身に悪影響をもたらすことになります。そのため、学習放獣の問題点はそのまま学習放獣の副作用ともいえます。



【嫌悪刺激と攻撃性】

イヌやラットなどの動物研究によって、嫌悪刺激を経験した個体は攻撃的になる(※3)ことがわかっています。また、痛みや恐怖、不快などによって、動物が攻撃的になることも諸研究で明らかになっています(※4,5,6,7)。

嫌悪刺激を経験した個体は恐怖と危険を感じ、ストレスを受けトラウマを抱えることになります。嫌悪刺激を経験した個体は人間を恐怖対象(危険対象)であると認識し、次に人間の姿を見たときには、自分の身や家族を守るために先制攻撃を行なうかもしれません。

その状況は、「いきなり(動物が)襲ってきた」という状況を生み出す可能性を高めることになるのです。

嫌悪刺激を経験した個体の人間への反応を子どもや仲間などが学習することで、嫌悪刺激による影響はその個体を含む動物の社会全体に広まっていきます。さらにこのような刺激が遺伝子に影響を与えることも明らかになっています(※4)。長期的にみて、動物の人間へのトラウマは野生の動物と人間との軋轢を深める結果になり、人間にも悪影響を与える可能性があります。

また、イヌを使ってクマに嫌悪刺激を与え、退散させようとすることも得策とはいえません。アメリカのクマ行動学の専門家であり、クマ観察ガイド兼インストラクターのEllie Lamb氏はこのように述べています。

「クマを怖がらせても何の価値もありません。ベアドッグを使用すると、クマにトラウマ以上のトラウマを与えてしまいます。トラウマを抱えたクマと一緒に暮らすのは簡単ではありません。クマのトラウマは人間に悪影響を与えるため、クマの生息地ではイヌはリードを繋ぐとこをおすすめしています。クマに関する事故の52%以上はイヌに関与しているため、イヌが問題を引き起こしていることをわたしたちは知る必要があります。」

少ないですが、日本でもクマへの嫌悪刺激と攻撃性増加の指摘はあります。しかし、この問題が取り上げられることはほとんどありません。



【クマ排除の思考に陥る理由】

Ellie Lamb氏は、人間によるクマの排除思考について、「クマの排除は、知識と理解(教育)の欠如」(※8)と述べており、クマが紛争を引き起こしているのではないと語っています。つまり、これは人間側の問題であるということです。

人間にクマへの知識と理解があれば、クマに対する新しい対策を議論することもできます。しかしそれがなければ、盲目的に「害獣」としてクマを排除する方向に走ってしまうのはある意味、自然の流れです。クマに限らず、理解の及ばないものを排除しようとする姿勢は偏見や差別に依拠しており、その視点から導き出される対策は、本質からそれたものであることが往々にしてあります。



【野生動物との共存のために】

クマやその他の野生動物へ嫌悪刺激(忌避条件付け)を与え学習放獣することは、問題を解決する根本的な対策ではありません。長期的にみれば、人間と野生動物との関係に悪影響を及ぼす可能性があります。

そして、忌避条件付けされることにより、動物はストレスを受け、ひどいトラウマを抱えることになります。これは動物の福祉に反する結果です。また、排除という行為は、排除される動物たちの生きる権利をも侵害することに繋がります。

クマを含めた野生動物たちとの共存には、動物たちへの理解を深めることが必要です。それは動物たちの習性や性質などの知識をつけ、動物たちをリスペクトすることから始まります。

野生の動物たちは、さまざまな性質を持ち、かれらには文化があります。かれらにはかれらの社会があり、それは複雑なものです。かれらを尊重し、その立場に立った視点が問題を根本的な解決へと導きます。

私たちは自然環境教育に力を入れ、動物を「害獣」として排除するのではなく、理解し受け入れて、双方が安心・安全に生活できる環境の構築に取り組んでいくべきです。クマによる被害が取り沙汰されている今こそ、舵を切る時期ではないでしょうか。




【追記】

北海道大学の北方生物圏フィールド科学センター 教授、揚妻直樹氏は、シカを「駆除」をしたとしても空いた空間に別の個体が流入する(※9)と述べていることから、クマの排除は根本的解決ではないと言えます。

動物行動学的研究や人と動物の軋轢を解決する研究を行っている江口祐輔氏によると、クマに対して嫌悪刺激条件付けを行っているにもかかわらず、奥山放獣したクマが再度、人里に降りて起こす人身事故や農業被害は後を絶たない(※10)ということです。


【参考文献】

※1:関,香菜子横山,真弓坂田,宏志森光,由樹斎田,栄里奈室山,泰之「ツキノワグマにおける捕獲理由の違い及び忌避条件付けの有無と土地利用の関係」兵庫 ワイルドライフモノグラフ、(最終閲覧日:2023年11月24日)。

chromeextension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010912469.pdf

※2:David J. Mattson Teaching Bears: Complexities and Contingencies of Deterrence and Aversive Conditioning  Research Gate、(最終閲覧日:2023年11月30日)。

https://www.researchgate.net/publication/354061565_Teaching_Bears_Complexities_and_Contingencies_of_Deterrence_and_Aversive_Conditioning

※3:藤田和生『動物たちは何を考えている?動物心理学の挑戦』株式会社技術評論社、2015年(83~84ページ)。

※4:VIRGINIA HUGHES  Mice Inherit the Fears of Their Fathers  National Geographic、(最終閲覧日:2023年11月30日)。

https://www.nationalgeographic.com/science/article/mice-inherit-the-fears-of-their-fathers

※5:John Archer Pain-induced aggression: An ethological perspective SPRINGER LINK、(最終閲覧日:2023年11月30日)。

https://link.springer.com/article/10.1007/bf02686728

※6:Animal Behaviour Fear and aggression BROOKE、(最終閲覧日:2023年11月30日)。

chromeextension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.thebrooke.org/sites/default/files/Animal%20Welfare/Welfare%20Interpretation%20Manual-%20Chapter%202%2C%20Fear.pdf

※7:Chrissy Sexton  Aggressive behavior in dogs is most often caused by fear  Earth.com、8最終閲覧日:2023年11月30日)。

https://www.earth.com/news/aggressive-behavior-in-dogs-is-most-often-caused-by-fear/

※8:Coexistence with Bears Starts with Humans The Fur-Bearers、(最終閲覧日:2023年11月24日)。

https://www.youtube.com/watch?v=4-NAdM5w4TE

※9:揚妻直樹「野生シカによる農業被害と生態系改変:異なる二つの問題の考え方」HOKKAIDO UNIVERSITY

※10:江口祐輔『最新の動物行動学に基づいた動物よる農作物被害の総合対策』株式会社誠文堂新光社、2013年(96ページ)。