
「思いやりある保全、感覚意識、人格性」保全努力は、殺しではなく思いやりに主導されなければならない マーク・ベコフ
マーク・ベコフ氏(コロラド大学ボルダー校 生態学・進化生物学名誉教授)が提唱する「思いやりある保全(Compassionate Conservation)」に関する翻訳記事を、翻訳家・著述家の井上太一氏がWDIにご寄贈くださいました。この記事の翻訳および転載にあたっては、井上氏がベコフ氏ご本人から正式な許可を得ております。
「思いやりある保全」は、従来の保全生態学に代わる新たなアプローチとして誕生しました。現在では、シドニー工科大学に専用のセンターが設置されるなど、学際的な新分野として急速に発展している注目の科学分野です。
このたび、ベコフ氏が提唱する理念を皆さんと共有できることを大変嬉しく思うとともに、貴重な記事をご提供いただいた井上氏に心より御礼申し上げます。
思いやりある保全、感覚意識、人格性
保全努力は、殺しではなく思いやりに主導されなければならない
2020年5月23日
「『何をおいても害をなすな』という指針のもと、思いやりある保全は大胆にして高潔かつ、包摂的で前を見据えた枠組みを与える。それは人間と動物が空間を共有した際に生じる軋轢の問題を議論し解決することへ向け、今までと異なる観点と計画が出会う場を設ける。――思いやりある保全とは何か
アリアン・ウォラック博士と多様な分野を代表する多国籍の同僚23名がジャーナル『保全生物学』に寄せた新たな論文は、さまざまな保全プログラムの中で、感覚意識のある動物たち に人格性を拡張することには充分な理由があると論じる(*1)。「思いやりある保全において動物の人格性を認める」と題したこの論文は、オンラインで無料閲覧できる。
思いやりある保全は、生物多様性を守る取り組みが感覚意識を持つすべての生命への思いやりによって主導されるべきであるとの倫理的立場に基礎を置く。生物学、心理学、社会学、社会福祉学、経済学、政治学、法学、哲学など、さまざまな分野の研究者たちが緊密に連携することで、この急速に発展する国際的・分野横断的領域に多大な貢献をなし、さまざまな成功物語を生み出している(*2)。思いやりある保全を導く四つの原則は、「何をおいても害をなすな」「個は価値を宿す」「あらゆる野生生物を尊重せよ」そして「平和的共存」である。
思いやりある保全の批判者たちは、保全計画において動物たちへの危害が認められる主要な理由は三つあると論じる。第一に、保全の主たる理由は生物多様性の保護にある。第二に、保全はもとより動物たちに思いやりがある。第三に、保全は人間への思いやりを優先すべきである(*3)。(「思いやりある保全に深刻もしくは致命的な欠陥はない」を参照)。
以下の表は、感覚意識を持つすべての生命が人格であるという立場のもと、思いやりある保全を支える形式的論証を示している。各々は先の論文「思いやりある保全において動物の人格性を認める」で慎重に分析されている。
表↓↓↓
同論文の著者らは論証分析を用い、思いやりある保全の議論を支える価値観と論理を明らかにしている。著者らは、思いやりある保全への反発が人間例外主義の表れであることを明らかにした。それは、人間が他のあらゆる種からカテゴリー的に区別され、より高い道徳的地位を占める、という見方である。
対照的に、思いやりある保全論者は、保全活動が感覚意識を持つすべての生物を人格と認め、道徳共同体を拡張すべきだと考える。倫理学でいう人格性とは、個が尊重に値すること、他の者の目的に資する単なる手段として扱われてはならないことを意味する。保全ではとりわけ、科学的・倫理的根拠のもと、感覚意識のある動物に人格性を広げることに充分な合理性がある。他種の成員を道徳的に排除する、ないし従属させることは、その生活世界の継続的な操作と搾取を正当化する。保全はそもそも、それゆえに必要とされるのである。思いやりを重視することは、人間例外主義を切り崩し、人間以外の人格性を認め、より広範囲におよぶ道徳領域を扱うことに資する。
人間以外の動物たちが一定の道徳的地位を持つという考え方は、保全論者のあいだで広く共有されているが、思いやりある保全が独特なのは、人間以外の人格性を認めることにある。その支持者らは、思いやりの涵養を通し、感覚意識を持つすべての生物を保全の道徳共同体に人格として包摂することを求めている(Ramp & Bekoff 2015; Wallach et al. 2018)。思いやりある保全の批判者たちは通常、人間を除くすべての存在の人格性を否定し、保全でより良い成果を上げられるとの想定から、往々にして知性や感情や社会性を兼ね備えた感覚意識のある存在に害をおよぼすプログラムの継続を求める。
科学的・倫理的根拠のもと、人格性を人間以外の動物に拡張することには、充分な理由がある (Midgley 1985; Rose 2011; Dayan 2018)。挙証責任はもはや、保全の道徳共同体を拡張しようとする者ではなく、狭い境界線で押し通そうとする者が負っている(Laham 2009)。思いやりある保全論者にとって、感覚意識は人格性を認める充分な根拠となる。人格性は無条件に人間だけに認められる地位であってはならない。人間を生命世界の残りから切り離して上位に置くことは、人間以上の世界の歴史的・継続的搾取を正当化してきた。先述した通り、保全が必要とされるそもそもの理由はそこにある(Plumwood 1993)。
思いやりある保全への反論は正当な問題意識から生じていることが少なくない。すなわち、保全活動家は時に、個を害するか種を失うかという難しい選択に直面する、という問題意識である(Rohwer & Marris 2019)。このようなつらい状況で、道徳的な罪とならない決定があり得るかは判然としない(Batavia et al. 2020)。私たちは最も日常的な場面でも感覚意識を持つ存在に害をなしており、ある者を他の者よりも優先する選択は避けられない。
では、いかなる行為も他の人格を害しかねないのだとすると、人はどうすれば倫理的に振る舞うことができるのか。簡単な答はない(Batavia et al. 2020)。しかし、感覚意識を持つすべての存在が人格であるという考えを真剣に受け止めるのなら、大量虐殺に基づく保全目標を立案し追求することは考えられなくなるだろう。支配の前提は思いやりの前提に置き換わる。[感覚意識を持つ無数の動物たちに、思いやりのかけらもない大規模かつ凄惨な暴力が行使されているが、最もひどい事例の一つは現在ニュージーランドで進められている(その野生動物に対する残忍な戦争に多く触れた資料として、"Jane Goodall Says Don't Use 1080, Jan Wright Says Use More"を参照されたい)。2015年5月にニュージーランドはすべての動物が感覚意識を持つ存在だと宣言したにもかかわらず、かれらに対する日々の残忍な猛攻は当たり前のように行なわれている。私の同僚が言ったように「わけがわからない」。
人間と他の動物のあいだに明確な生物学的・進化論的境界はない、という考えは広く受け入れられているが、強固な倫理的二元論は残っており、それを捨て去ることはほとんど考えがたい提言となる。一部の人々は思いやりある保全があまりに既存の考え方に反するもので議論に値しないと言い、「思いやりある保全は保全ではない」とまで主張する(Driscoll & Watson 2019)。このような断言は、学問の土台である開かれた意見交換を損ねるおそれがある。保全の唯一の目標が、他の道徳的主張を顧みずに土地の生態系共同体を守ることにあるというのであれば、思いやりある保全も、より広い学術コミュニティも、社会の常識的価値観も、保全とは相容れないというのが妥当だろう。
思いやりある保全の擁護者たちは、地球の多様この上ない人格たちと私たちを架橋する思いやりの力を重視する。思いやりある保全は、崩れゆく二元論の塵埃から生まれる課題と機会をつかむための前途を示す。「共生の名における」殺害には合理性がなく 、科学者たちもそれは認める 。
思いやりある保全は、保全そのものへの異議申し立てではなく、世界に広がりつつある社会認識への誠実な応答なのだと理解することが重要である。それは、人間でない動物たちが感覚を持ち、自分にとって重要な生活と経験と関係を持ち、それらは私たちにとっても無視できないものなのだという認識である。[思いやりある保全は「保全科学の装いをまとった動物解放」ではない。これは無知にもとづく不当な評価であり、ひどい間違いである。
人間支配がますます強まりゆくこの世界を、人間でない動物と人間という動物の双方にとってより良い場所とするには、私たちの支配と搾取の習慣を思いやりへと置き換えていかなくてはならない。「人間の時代」といわれる人新世は「非人間性の猛威」というほうがふさわしく、人間に含まれない無数の生きものたちとその住処が日々翻弄されている。思いやりある保全は「心を再野生化」し、すべての自然とつながることを人々に呼びかける。
思いやりある保全はもはや矛盾した言葉ではなく、隠された行動計画を含むものでもない。それは人間も人間以外も含め、あらゆる利害関係者を勘案する。思いやりある保全は確かな生物学にもとづき、難問を前に私たちが専門的・個人的な快適ゾーンから出なければならなくなった時も、保全生物学がしっかりと倫理に根を下ろすべきであることを強調する。そして、前進はすべての声が聞かれてこそ成し遂げられるものとはいえ、自分が何に賛同しているのか、あるいは反対しているのかは各人が理解すべきであり、それを求めるのは過度な要求ではない。
多様な世界の保全努力を導くものとして、思いやりある保全の重要性が今後も議論されることを願いたい。実のところ、それは既に導き手を務めてきたのだから。
参考資料
原注:
*1 Arian D. Wallach, Chelsea Batavia, Marc Bekoff, Shelley Alexander, Liv Baker, Dror Ben-Ami, Louise Boronyak, Adam P. A. Cardilin, Yohay Carmel, Danielle Celermajer, Simon Coghlan, Yara Dahdal, Jonatan J. Gomez, Gisela Kaplan, Oded Keynan, Anton Khalilieh, Helen Kopnina, William S. Lynn, Yamini Narayanan, Sophie Riley, Francisco J. Santiago-Ávila, Esty Yanco, Miriam A. Zemanova, and Daniel Ramp (著者らの所属は論文の中で確認可。) 本稿の一部は、私が共著者を務めたこのオープンアクセスの論文から抜粋している。同論文は、多様な関心を持つ研究者たちによる緊密なチームワークの優れた実例となる。本稿では数箇所で括弧を用い、追加情報を挿入した。冒頭の引用および最初の2段落と最後の3段落もそうである。
*2 成功事例の多くは以下の諸論文で確認できる。また、多くは「思いやりを召喚して保全の課題に対処する」およびシドニー工科大学の「思いやりある保全センター 」ウェブサイトに要約されている。
*3 思いやりある保全への批判は、一部が人身攻撃であり、一部は侮辱めいたもの、そして一部は著者が思いやりある保全の少なくとも二つの重要な側面を見落としていると窺い知れるものである。その二つとは、1)思いやりある保全が伝統的な保全と同じく生物多様性の保護に関する取り組みであること、2)人間以外と人間の双方を含めたすべての利害関係者が、保全の決定において重要な位置を占めること、である。すべての批判が真剣に受け止められており、それもあって私たちは論文「思いやりある保全において動物の人格性を認める」を書いた。
Batavia, C., Nelson, M. P., and Wallach, A. D. The moral residue of conservation. Conservation Biology. 2020.
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_____. Compassionate Conservation Isn't Seriously or Fatally Flawed.
_____. Killing "In the Name of Coexistence" Doesn't Make Much Sense.
_____. Killing Barred Owls to Save Spotted Owls? Problems From Hell.
_____. Thousands of Cormorants to be Killed: There Will be Blood.
_____. An Ape Ethic and the Question of Personhood. (An interview with Gregory Tague about ways in which apes are moral individuals).
_____. Compassionate Conservation Isn't Veiled Animal Liberation. (This growing field isn't "animal liberation dressed up as conservation science.")
_____. Compassionate Conservation Matures and Comes of Age. (Among the major goals of compassionate conservation is killing isn't an option.)
_____. Compassionate Conservation: More than "Welfarism Gone Wild."
_____. Compassionate Conservation Finally Comes of Age: Killing in the name of conservation doesn't work.
_____. Animal Emotions, Animal Sentience, and Why They Matter.
_____. Accusations of "Invasive Species Denialism" Are Flawed.
_____. Rather Than Kill Animals "Softly," Don't Kill Them at All.
_____. A Journey to Ecocentrism: Earth Jurisprudence and Rewilding.
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元記事:
https://www.psychologytoday.com/us/blog/animal-emotions/202005/compassionate-conservation-sentience-and-personhood(2025年3月17日アクセス)